感想:★★★★★ちきしょう、世の中、インチキな奴らばっかりだ!って思うことありませんか。私はあります。
「私の周りは素晴らしい人ばかりだ」と思うこともあるのに、やっぱり「インチキ奴らの集まりだ」って思うこともあるのです。こういう煩悶って、大人になれば失くなるものだと思っていたけど、そうそう簡単に失くなったりはしないんですね。
思春期の頃と違うのは、「インチキで当たり前だ」って気付くから、いちいち憤慨したり抗ったりせず、そんなもんだって諦めるようになったこと。
愚かしいことに、自分だってインチキな部分はあるから、他人を緩さないと自分も赦せないことになってしまう。大人になって自分を赦せないのは辛い。だから諦める。
でも、この作品の主人公ホールデン少年はまだその域までは来てないから、見ていて痛々しい。
既にこの作品は世界的名作として有名すぎるので、私なんかが今更何を書いたところでその魅力を明確に書き記すことは出来ないのですが、私にとっての「バイブル」と言えばこの本なのです。
このホールデン少年と同じ様だった頃が、私にもありました。世の中の何もかもがインチキに見えて、大人の真似事をして暴走して失敗するのです。笑えます。この本はまず、単純に面白いです。
あれで優しい心持ち主なら、狼だって優しい心の持ち主だね。映画のインチキな話なんか見て目を泣きはらすような人は、十中八九、心の中は意地悪な連中なもんさ。
わかるよ!ホールデン少年!私もそう思ってた!みたいな共感、
まるで十代の頃の自分の言葉を聞いているかのようなセリフたちがたくさん登場します。
これがいつも僕には参るんだな。会ってもうれしくもなんともない人に向かって「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。でも、生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないものなんだ。
そこへ行ってどうするかというと、僕は唖でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。そうすれば、誰とも無益なばからしい会話をしなくてすむからね。
繊細すぎるようだけど、思春期の頃ってこういう夢を誰しも見ると思う。
思春期の頃の痛々しさを、あくまで主観的に見事に描きすぎていて、見ていて苦しいやら恥ずかしいやら、笑えるやら。
それでも、ライ麦畑で崖から落ちそうな子供たちを救う、「ライ麦畑の捕まえ手になりたい」と語り、赤いハンチングを後ろ向きに(野球の捕手、キャッチャーのように)被るイノセントな気持ちを持つホールデン少年。
先生に、崖から落ちそうなのはお前の方だってもっともらしく説教されても、やっぱりその先生もインチキというか、インチキ通り越して変態っぽくて恐怖し、傷付いちゃう。大人への不信感は益々募って行く…
踏んだり蹴ったりだけど、それでも救いがある。
最後に妹のフィービーに、赤いハンチングを被らされるホールデン少年。
回転木馬に乗りぐるぐる回り続ける妹を眺めながら、幸福な気持ちになって救われるシーンは、傍観者の私も、あたたかい気持ちにならざるを得ません。
ちなみに、野崎孝訳と村上春樹訳の両方を読みましたが、私は野崎訳が好きです。
読んだことない人には絶対に読んでもらいたい本のうちの一つ。
インチキな出来事、インチキな人物にぶつかってイライラした時に読むとスカッと笑えて、そして癒されます。
こんなだった頃の自分が懐かしくて、でも笑い飛ばせる。最後にはきちんと癒される。
そんな本です。私のバイブルです。
原題「The Catcher in the Rye」を、野崎孝氏が「ライ麦畑でつかまえて」と訳したのも秀逸すぎる!
おすすめ解釈コラム
www2.dokkyo.ac.jp/~esemi006/rpt01/nagatake.htm
赤いハンチングを妹にかぶらされた時、このハンチングを恐らくツバを前向きに被らされたので「キャッチャーではなくなったのだ」という見解があって、私も多分、そういうことだと思う。
現に、その直後雨が降ってくるけど、「赤いハンチングのおかげで、ある意味では助かった」という描写がある。
ツバが前に無いと、物理的にも「助かった」とは言いがたいし、
精神的な意味でも、キャッチャーじゃなくなったから「助かった」という描写に繋がるのだと見ることも出来る。
子供のキャッチャーになりたいホールデン少年は、結局子供にキャッチされちゃう、
そんな滑稽な物語です。大好きです。
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