読んだ本、読んだ漫画、観た映画などの、ごく個人的な感想を綴るブログです。


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すごく久々の更新になってしまいました。
最終回の感想を楽しみにしているといったコメントやリプを下さった方はありがとうございました。

ピングドラムが最終回を迎えて2ヶ月が経ちましたが、相変わらず自分にとって特別な作品として心に響き続けています。そのことは揺るぎありません。
その上でほんの少しだけ、最終回の感想を正直に書いてみたいと思います。
考察ではありません。ごく個人的な感想です。

ネタバレを含んでいるので、未見の方はご注意下さい。






メッセージを内包したものをアウトプットするとき、そこにリアリティーは必要不可欠だと私は思っていました。
ピングドラムにおけるリアリティーとは何か、を私なりにもっと分かりやすく言えば、「現実を生きる我々へのメッセージなのであれば、現実的な形でそれを終わらせるべきだ」と思っていた、ということです。

もし運命の乗り換えが出来てしまったら、この物語は誰へのどんなメッセージになりうるだろうか、とはじめ頭を悩ませました。運命の乗り換えなど出来ない、「現実」を生きる我々の前に、半分の林檎と乗り換えの呪文を差し出されても、私達はそれで運命を乗り換え、生きることなんて出来ません。それが「選ばれないことは死ぬこと」を踏まえた上での「選ばれた」ことである比喩表現だとわかっていても、です。
「運命の乗り換えは出来ないだろうな、何故なら幾原監督はリアリストだから」だなんて勝手に思っていた私にとって、最終回は衝撃的なものでした。予想外の展開だったのです。
幾原監督が、ここまで愛の話を恥ずかしげもなく描いてみせたこと自体に驚愕していました。

私がすごく勝手に、一方的に理想的だと考えていた最終回は、冠葉が自らの暴走に気付いて陽毬を死者として認め、死者として送り、それでも生きていくという物語でした。
何故なら視聴者の我々は生きるしかないからです。運命の乗り換えなんて出来ない。現実を生きる我々は死者を死者として認め生きていくしかないからです。

でも、一方で描きたかったことはとてもよく分かります。
「愛の話なのだ」と、よく理解できます。時間が経てば経つほど、ピングドラムが愛の話であったということがとてもしっくりきます。

ピングドラムとは"愛による死を自ら選択した者の愛の話"だから、私がここで指摘している「リアリティーの欠如」というものは、論点がズレまくっています。
"愛による死を自ら選択した者の愛の話"としてはちゃんと美しく完結しているからです。
この物語に日常に反映させられるものを期待しているから私のような不満が生まれてしまうのですが、それはそもそも私の見ているところが違う、という話になります。私がずれているんですよね。

「それでもこうあって欲しかった」、という気持ちと、「でも、愛の話だからこれで良いのだ」という気持ちとが、この2ヶ月私の中でぐるぐる回り続けていたように思います。

一つだけ、今も言えるのは、「あれ?なんで泣いてるんだろう」的な台詞は、どうしても、どうしても要らないなぁと思う一言でした。
それが無ければ、モヤモヤした気持ちで最終回を見なくて済んだかもしれない、と思います。
ピングドラムは、この24話にかけて今まで見たことのないようなものを見せてくれたのに、最後の最後に「あれ?なんで泣いてるんだろう」的な使い古されたような陳腐な台詞が出てきてしまったことは、とても残念でなりません。
でも、その「クサさ」も"あえて"取り入れられているのだろう、とは思っています。そうじゃないと救いがないし、愛の話をやるならとことんクサく演出してしまおう、とう意図があったのかもしれません。
私は、幾原監督はもっと辛辣な人なのだと思っていたので、陽毬が二人の兄のことなんて忘れて、運命の乗換後の世界で陽毬がメモを見つけても、「なんだこれ、ポイッ」とする方が監督らしい、と思っていました。それをしてくれていたら清々しいなぁと。

今回の「輪るピングドラム」という作品を通じて、今まで色々考えてきましたが、色んな考察をすることがとても無意味に感じました。ストレートに「愛の話」だからです。そこに見えるものを素直に受け取ればいい物語なのであって、考察をするのは無粋だな、ぐらいに思いました。
幾原監督がこのような愛の物語を、この時代にやってみせた、ということが私にとって一番興味深い出来事でした。
家族ではない人と一緒に生活し、心から愛しく思うこと。
そんな愛の形を描いたことに、人間の変化を感じました。
命を捨ててでも守りたいという気持ち、絶対的な愛情。
ピングドラムというのは本来はとてもシンプルな物語だったのだな、と気付かされました。

最終回の台詞で上記のように、残念だなと思う部分もあったりはしましたが、結論よりその過程がとにかく私はとても好きだったので、ピングドラムは私にとって大切なアニメ作品となりました。

色々書きましたが、最終話の中でも、晶馬が苹果ちゃんに「愛してる」っていうシーンとかはもう、大好きですしね。
半分に割った林檎が、最終回のイベントで、あの大きなスクリーンに映ったときは、とても感動しました。そういうことかぁって。
ピングドラムという物語は、むしろあの「半分に割った林檎」のみに集約されていると思っています。
その後の運命の乗り換え云々は、実は重要ではなくて。(もちろん、物語を整合させる上ではとても重要ですが)

要するに「愛する人と半分に分けあうこと」それこそが愛なのだ、という物語。

愛する人と半分こすること。分け合うこと。喜びも悲しみも一緒に共有すること。
それこそが「生きる」ということなのだということ。
ピングドラムはそういう物語なのだと。そう考えると温かい気持ちになります。

やっぱり私にとってはとても大切な作品です。


今まで、こちらのブログに遊びに来て下さった方へ。
ありがとうございました。
拍手を押したり、コメントを下さった方。
とても励みになりました。

特に9話の感想の記事には、気付いたら100個の拍手を頂いていて、とても嬉しかったです。
(今日久々にブログを開いてそれに気付いたので、最終回の記事を書こうと思い立ちました。)
とても影響力のある、色んな方のブログやツイートで紹介して頂いたことも、とても幸せな経験でした。

改めまして、ここまで読んで下さり、本当にありがとうございました。
これだけの作品を与えてくれた、幾原邦彦監督に感謝です。

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この記事へのコメント
はじめまして。
ミカさんの感想はとかく熱く哲学的になりがちな幾原作品の感想群のなかで
とてもシンプルでやさしい感想で、ホッとしますね。そしてとても共感できます。

私もピンドラ最終回での乗り換えにびっくりし、ああこれはどうやら
我々、何とか生きて(いられ)る人に向けての物語でなく、取り返しのつかない過ちをおこした過去の何かや、失われた命に向けての救済の物語なのか もしれない、と思いました。

サイン会楽しみです。桃の節句ならではの何かを期待しちゃいます。
  1. 2012/02/27(Mon) 22:35:08
  2. URL
  3. もず #xPfs20G6
  4. [ 編集]
はじめまして
いつも楽しく拝見させていただいてます。
幾原監督のピンドラは、ほんとにそのまま、高橋源一郎の『「悪」と戦う』のアニメ版だと思います。
  1. 2012/04/30(Mon) 20:21:09
  2. URL
  3. esme #-
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  1. 2012.05.13(Sun) 15:22:33
  2. まとめwoネタ速neo
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