読んだ本、読んだ漫画、観た映画などの、ごく個人的な感想を綴るブログです。


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今回は、まずは余談から。
12/23の最終回ライブビューイングのチケットを無事に手に入れることが出来ました。
前日の夜の21時から店頭に並びました…
寒くて死んじゃうかと思いましたが、無事に取れて良かったです。
監督と同じ時代に生まれたことを、私はとても幸せに思っているので、しっかりと言葉を心に焼き付けて来たいと思います。

イベントが終わったら、レポートを書きたいと思っていますのでお楽しみに!


22話「美しい棺」

真砂子が、父親の居たKIGAのことを「美しい棺」と言っています。
幾原監督は、「閉ざされた世界」のことを「棺」に喩えるのが好きですね。
ウテナでも、ウテナの子供の頃の閉ざされた世界を棺で表現しています。
「卵の殻を破らねば、雛鳥は産まれずに死んでいく」というキャッチフレーズそのままでした。(卵の殻=棺)
真砂子は、最初はさも悪役かのように登場しましたが、晶馬のようなヘタレでもなく、冠葉のような暴走もせず、一番真っ当な人間のようです。真砂子、かっこいいです。
(晶馬をヘタレと書きましたが、それが普通だと思います)

さて、あとは今回はラストに向けて、残されている疑問を自分用にもメモしたいと思います。


ピングドラムとは物体であるらしい

Twitterでフォローしている方が、このように仰っていてかなり驚愕して、すぐさまBlu-ray1巻の幾原監督のインタビューを読んだところ、確かにこのように仰っています。

「ピングドラム」は抽象の概念ではなく、物体として登場するよ。お楽しみに。


私は今までの記事に書いてきたように、抽象の概念だと思っていました。
ですから、かなりの衝撃です。このブログで書いてきたことをお詫びしなければなりません…。
しかも、「実体のあるもの」でも「実際に存在するもの」でもなく「物体」と言っているところも気になります。
何でしょう…今の私には、「電車(銀河鉄道)」とか「切符」などと妄想することしか出来ません。
我々が想像し得るもの以外である可能性も充分にあります。
恐らく陽毬が死んで終わるんだろうと思いますが、例えばこれが銀河鉄道であれば、死者は切符を持っているはずなのです。でも冠葉が死者を死者として認めようとせず、生き返らせようとしているわけだから、死者を送る列車から陽毬を降ろそうとしているわけですが…
冠葉が陽毬の死を受け入れた時に、死者を送る列車もしくは切符を手に入れることができる。とか…今は、私の妄想ですが、このように考える以外他に思い付きません。

以下の、試運転マニュアルの監督のインタビューも気になります。私はこれを読んだ時はペンギン=切符なのかなと思ったのですが、ピングドラムとは何か、と考えた時にも、この発言は重要かも知れませんね。

「うん。スタッフにペンギンの話をしたとき、誰かが駅の改札で使うICカードのことを話したんです。その瞬間、頭の中でパパパッっとなにかがつながる感覚があったんですよ。そうか、自分がテレビアニメをやる理由はそれかもしれない!って。詳しくはネタバレになるので言えませんが、すぐに消費されてしまうような面白さとは別の、特別な視点を見つけた気がしたんです。久しぶりの実戦ということで考えると、ウォーミングアップなしでいきなり剛速球を投げられそうな予感がした。」



KIGAという組織

上の話の流れでもうひとつ、Blu-ray1巻の幾原監督のインタビューで貴重なことが語られています。

例えばね、他人に構わず正しいことを言う人って、いつの時代もいるでしょう。そういう人は必ず失敗すると思うんです。今回意識したのは、やはり「正しいことを言う人」です。正しいことを言って、失敗していく人。(中略)彼らは傷付いて、上手くやれないことが多い。いや、まず上手く生きられない。僕はその人たちのことを単純に否定したくないんです。彼らのことを、メディアは良く言わないでしょう。「曖昧に出来ず、正しく生きようとした人だ」とは言わない。むしろ狂人と呼ぶよね。自分を騙せず極論に言ってしまう人…、今回はそこも否定せずに描きたいと思う。この社会にはいろんな矛盾や理不尽な話がいっぱいある。そのなかで傷つきながら、最小のコミュニティの中でかばいあう。たとえそのコミュニティが罪の場所だとしても、他の場所で生きるという選択肢がは彼らにはなかった。世間では、おそろしい毒壺であっても、彼らにとっては、記憶の故郷であるという…。その不幸と極限の感情を描きたい。


ここで語られるコミュニティとはKIGAでしょう。
罪の場所だとしても、と語られています。
実際に、モデルとして考えられるオウム真理教の元信者のインタビューなどを読んでいると、ほぼ上の幾原監督の言葉と同じ感想を私は抱いてしまいます。彼らのことを、単純に否定したくはない、と。
勿論、被害者ではないから言えることだとは思いますし、監督が言っているのも、その罪を否定しない、ということではなく、その「コミュニティ自体は単純に否定したくない」ということだと思います。
このインタビューを踏まえると、苹果ちゃんが晶馬を好きになったのも自然に感じるし、すごく高尚な愛を体現をしている気がします。

眞悧も高倉剣山も、物語の中で、一見すれば正しいことを言っています。
「この世界は間違っている」と。でも罪を犯しました。
しかし、"それを単純に否定したくはないし、それでも繋がる「家族」を描きたい"と思っているようです。
これを踏まえて、以下の章では作品のテーマについて再確認してみます。


作品のテーマ

上のBlu-ray1巻のインタビューの中で、監督が総じて仰っているのは"それでも家族の再生、つながりを描きたい"。
何度も色んなインタビューで語られているように、この作品のテーマは「家族」。
勿論、そこに色んなテーマが一緒に投入されているのが幾原監督らしさだったり、ピングドラムの面白さだったりしますが、根底は「家族」でブレていないですね。私の中では、幾原監督が「家族」をテーマにするというのは意外なことでした。しかし回を追うに連れてそれがとてもよく理解出来るようになりました。

どの家族も、「バラバラになっても繋がろうとしている」者たちばかりです。
陽毬、冠葉、晶葉の三人もそうですし、苹果もそうですよね。
苹果ちゃんは家族を繋ぎ止めようとして桃果になろうとしていましたし、その都度カッパとラッコの人形を大切にしていたのも、それが両親を大切にしている象徴だったのだと、今6話あたりを見るとより一層理解が深まります。
本来は憎んでもいいような晶馬とも必死で繋がろうとしています。
ゆりと多蕗も、一度はバラバラになりましたが、やはり繋がろうとしています。
真砂子も、本当の家族である冠葉を心から想っています。
みんな「家族」というものにことごとく傷付いている人間ばかりですが、それでも繋がろうとしている。インタビューを読んでいると、監督は「それでも繋がろうとしている家族」を描きたいのだと分かります。

家の中で、自分はなぜ彼と一緒のいるのだろう…、なぜ彼女とここにいるのだろう…というね。


と監督は仰っていますが、仰っている意味がとてもとても、よく分かります。
この感覚は、もしかしたら結婚している人の方が分かるかも知れないですね。(私は結婚はしていないですが)
赤の他人であるはずの人間と必死に繋がろうとする、そうして家族であろうとする。
これは何故なんだろう…といった感覚。一番大事なものは、この小さなコミュニティである、自分の居場所である、という繋がりの保守。
高倉家も、みんな血は繋がっていないですが、それでも必死に繋がろうとしている。
彼らを真の血の繋がりのない家族にした意味が分かった気がします。血の繋がった家族が繋がろうとするのは自然なことです。血の繋がりのない家族がそれでも繋がろうとする、という部分を描きたかったのでしょうね。夫婦もそうですから。

ピングドラムという物語を総括すると、まさしく以下の会話に集約されているのかも知れません。

少年1「だからさ、リンゴは宇宙そのものなんだよ、掌に乗る宇宙。この世界があっちの世界をつなぐものだよ」
少年2「あっちの世界?」
少年1「カムパネルラや、他の乗客が向かってる世界だよ」
少年2「それとリンゴに何の関係があるんだ?」
少年1「つまり、リンゴは愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもあるんだよ」
少年2「でも、死んだら全部おしまいじゃん」
少年1「おしまいじゃないよ!寧ろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ」
少年2「全然わかんねぇよー」
少年1「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなぁ~」


陽毬は、冠葉を止めようとしています。「死んでもいいから」とまで言っています。
池袋で、あの時死んでさえいれば、とも言っています。
最後、自ら命を絶つというか、冠葉を救おうとして命を落とす可能性もあるかも知れませんね。愛による死です。

何者にもなれない、透明な存在。
それに対抗する色鮮やかな高倉家。21話では灰色の世界が家族により色鮮やかになっていく様がとても分かりやすく表現されていました。
↓とても分かりやすくて秀逸な記事です。

「家族」とは、いちばん最初の共同体
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20111126/1322287554


残された謎

苹果ちゃんは運命日記を手に入れてどうするのか?
運命日記による運命の乗り換えが本当に可能なのか?(私は前回の記事に書いたようにそれには否定的です)
桃果とは結局何者だったのか?
時系列が1年合わない理由は?
マリオの帽子に宿っているのもクリスタルなのか?

などなど…


まだ書きたいことがあるので追記するかも知れませんが、ひとまず以上まで。
もう、終わりが近付いているんですね…。
始まったのが半年前とは思えません。

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