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またまた、ピングドラム感想としては久々の記事です。

12話は日常性と背徳性と童話性という対局を為しそうなものが一挙に詰め込まれている感じがありましたね。何回も見てしまいました。
陽毬が可愛ければ可愛いほど、物語全体に漂う哀絶感は増していきます。妹のために、愛による死を選択しても構わないと思っている冠葉も。


高倉家の両親の組織の謎

以前、苹果ちゃんのお母さんが「高倉」という苗字に反応していたから、高倉家の両親が有名な犯罪者なのかもとか言ってたら本当にそうだったとは…
正直、ここまでやると思っていなかったので非常に驚倒しています。

「これで世界はピースされる」と高倉剣山が言ってましたけれど、ピースは「peace」なのか「piece」なのか。
Twitterに私の妄想を書きましたがそれはあまりにも偏っているのでここでは割愛して、恐らくその行為が彼ら組織の「正義・使命」なのだろうということが伝わってきます。
最初からその行為を行うことによって人が死ぬということが分かっていたのであれば(人が死んだのは予想外の失敗である可能性もありますが、この場合は元々分かっていた可能性が高いのではないかと思います)、彼らは人を殺すことが正義や使命だと思っている可能性があったのではないか、ということが言えます。
あれほどの大きな騒ぎを起こすには、よほどの正義感や使命感がなければ出来るはずがありません。
そして、「正義感や使命感」によって幹部が動く組織というのはやはり宗教的な印象は拭いきれません。

余談なのですが、地下鉄サリン事件でサリンを散布したオウム真理教幹部は、「カルマの法則」に基づく「タントラ・ヴァジラヤーナ」を信仰して、それを正義だと自分に言い聞かせてその事件を起こしました。
では、「カルマの法則」に基づく「タントラ・ヴァジラヤーナ」とはどういうことかというと、
「人の不幸は前世での悪行の罰である」から、「悪行を積み続ける魂を救済するために殺害する」。「殺害すれば、その人の悪い魂は、殺害されたという事実によって過去の悪業が清算され、魂のレベルを引き上げることが出来る」という考え方のことです。
これこそが、オウムの信仰する「カルマの法則」に基く「タントラ・ヴァジラヤーナ」です。
麻原彰晃はこれを幹部たちに説き、事件を起こさせました。
実際に、村上春樹の「約束された場所で」に掲載されている、元オウム信者のインタビューを読んでいると、本当にこの「タントラ・ヴァジラヤーナ」を信仰しているんですよね。
ただ、「人の前世を完璧に見抜ける人でなくてはやってはいけないから、無差別的な地下鉄サリン事件は悪だ」と言っていましたが、人の前世が見えるのであればやっても構わない、寧ろやるべきであるって意味にも取れます。人に前世があり、そこで悪行を働いている可能性については完全に信用しているわけです。
こちらの記事にも書きましたが、「生きることが辛い」か弱い信者達は、「前世」という、空想でしか分からない部分に自らの痛みを投げ出すことで、現世の痛みとの差分を埋めようとしてもがいているのです。

それから、高倉剣山なのですが、車から降りるシーンのカットがどう見ても二人居る様に見えますね。
実は高倉剣山こそが双子で、晶馬と冠葉はこの別々の双子の父から生まれたいわゆる従兄弟であり双子ではないとか?
でも仮にそうだとしても高倉剣山が双子でなければならない意味だとか、晶馬と冠葉が別々に生まれた意味が今は見当たりません。


冠葉の蠍の魂

さて、上記のように高倉剣山が多数の死者を出す事件を起した犯人であり、冠葉たちはその息子である、ということを踏まえた上で、クリスタルの「ふっ・・・赤く燃える蠍の魂か」という台詞について考えてみます。

「蠍の魂」は、「銀河鉄道の夜」を読んだ人ならすぐにピンと来るはずですが、「銀河鉄道の夜」の中に、蠍のエピソードがあります。

銀河鉄道に乗ってきた女の子が、蠍について話をするのです。小さな虫を殺して食べて生きていた蠍が、いたちに食べられそうになったところを井戸に落ちて、溺れてしまうエピソード。

そのとき蠍はこう云ってお祈りしたというの、
 あゝ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蠍はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。
(新編「銀河鉄道の夜」p.211)



クリスタルが冠葉の魂を「蠍の魂」と呼んだのは、罪の無い人々を殺した犯罪者の子供である冠葉が(冠葉には罪はないけれど)、その犯罪者の子供を救って欲しいと嘆願している「同じ罰が自己に降りかかる」様を「蠍の魂」と呼称したのでしょう。

次回予告でも冠葉はこう言っています。

「これが俺達の罰なのか。認めないぞ。俺はこの体の全てを焼き尽くしても、お前を諦めない。」



このセリフからも、「銀河鉄道の夜」の蠍と冠葉を照らし合わせていることは間違いないかと思います。

ここからは私の妄想なのですが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」において、ジョバンニがいつの間にか「銀河鉄道」に乗っていたのと同じように、晶馬も何かの拍子で別の世界にトリップしている状態ではないのかと思ったりします。
実際に、彼ら以外無人の電車に乗っているような描写が幾度も出てきますしね。まるで銀河鉄道です。同乗者はカンパネルラ。冠葉やその他の人物です。
でもやはり、いつかは銀河鉄道から降りなければならない時が来る。フと気付くと銀河鉄道ではない。カンパネルラもいない。その代わりに父親が帰ってくる。それが銀河鉄道の結末です。
カンパネルラはザネリを助けて死にましたが、冠葉は12話で陽毬を助けようとしています。愛による死を選択しようとしています。すでに寿命っぽいものを1話でクリスタルに提供しています。
しかし、時系列が1年合わないというまとめを読んで、時系列が合わないのは2007年から2010年の間のようですから、この「別の世界にトリップしてる」という私の妄想も微妙なのですが。
これが2011年が2年ある、みたいな感じだったら期待してもいいかもとは思うんですけれど、やはり黙って今後の展開を見ていくしかないでしょうね。

桃果の日記帳に竜宮城が書いてありますが、竜宮城であれば1年で2年経過する、みたいなことは在り得そうですが・・・。クリスタルの喋り方も乙姫っぽくはあります。

桃果といえば、遺体は見つかっているのでしょうか?

「見つからないそうよ。帰ってきたのは日記帳だけだって」



というセリフがありましたが、「見つからないそうよ」の前の主語が抜けているので、何が見つからないのか明らかではありません。もしもこれが遺体が見つかっていないという意味だとしたら、物語上遺体が見つからない理由は何かあるはずですが、何なのでしょうか・・・。

メリーさんのお話も、ゆっくり考えたいのですがひとまず今日はここまでにします。

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