読んだ本、読んだ漫画、観た映画などの、ごく個人的な感想を綴るブログです。


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久々の更新になってしまいました。
6月は事情により少ししか読書出来ず、7月に挽回したい所存です。

さて、ここでは本や映画のレビューばかりを綴ってきましたが、
今日はアニメについての考察を綴りたいと思います。
考察というほどのものでもなく、瑣末なただの感想文なのですが…。

7月8日に放送開始したアニメ『輪るピングドラム』
普段アニメは、笑うための娯楽としてほとんど『銀魂』しか観ない私ですが、
私はこれが発表された時から心待ちにしておりました。
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何故なら監督が『少女革命ウテナ』の幾原邦彦監督だからです。
私がどれだけウテナが好きか、という話は置いておいたとしても、
とにかくこの監督に勝手且つ一方的なシンパシーを感じている私は、放送を心から楽しみにしていました。

今回は、全24話予定のこの作品の第1話について、考察してみたいと思います。
簡単に以下の考察についてまとめると、
登場するモチーフのメタファー、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を通してのキリスト教的表現などについての考察となります。


幾原邦彦監督の世界観

第1話の率直な感想は、一言で言えばとにかく、"幾原ワールド"!!
『セーラームーン』、『少女革命ウテナ』に見られた要素がてんこもりです。
まずは、ビジュアル面(目でみてすぐにそれと分かる要素)から取っていくとこんな感じ。

▼手を繋ぐ、重ねるなどの表現
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▼影絵
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▼高倉冠葉の胸から何か丸い?球体を取り出すシーン。
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ウテナでは、胸から剣を取り出し、その剣で闘っていました。
ウテナファンはこの「モロ・ウテナ」な表現にニヤニヤしてしまうことうけあいです。

しかしながら、当然ですが、本物の剣を胸から取り出すわけではありません。
ウテナは心と心の闘い、自らとの闘いを描いた作品でした。自らを「革命」する物語です。
その闘いに使うのが、本物の剣ではなく心の剣だったわけです。
この「輪るピングドラム」に於いても、同じような解釈をしても良いかもしれません。
第一話では、胸から取り出された球体が何であるかは説明されないまま終わってしまったので、
それは今後考察することにしましょう。

他にも、細やかな部分で、コマづかいやクセ、変身シーンの特徴など、
たとえば腕や指先の伸び方、衣装の広がり方一つとっても、幾原ワールドです。
登場人物の名前の漢字もそれっぽいです。
更に、鳳 暁生とアンシーと同じく、兄妹の近親愛も彼の世界観。
まず大前提として、「幾原ワールドが広がっている」ということが、この輪るピングドラムの特徴でしょう。


作品に登場する様々なモチーフ、メタファー、オマージュ

▼ピクトグラム≠ピングドラム
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作品中で、主要人物以外は全てピクトグラムで表現されていることからも、
「ピングドラム」というタイトルは、ピクトグラムのもじりであることは分かる。

ピクトグラムは様々な物体、固体の記号であり、唯一のものを特定するものではなく、
たとえばヒトのピクトグラムであるなら、ヒト全体を指すことが出来ることから、
この作品で繰り返される「何者にもなれない・何者でもない」という言葉と相通するところがあると考えることも出来ます。
つまり、「輪る何者でもない者達」などと解釈することも出来るかもしれません。
しかし、それだと「輪るピクトグラム」になってしまう。
「きっと何者にもなれないお前達に告げる。ピングドラムを手に入れるのだ」というセリフが1話にありましたが、「ピングドラムを手に入れる」とはどういうことなのか?

ピングドラムのつづりが「MAWARU-PENGUINDRUM」であることも明かされていることも考慮すると、登場する3匹のペンギンについての考察へともなっていきます。

▼3匹のペンギン+1匹?
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左の3匹は、1話から登場したペンギンだ。
以下の並びと、ペンギンの背中についた番号からいっても、それぞれがこの作品のメインの3兄妹を示していることは分かるでしょう。

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1の絆創膏のペンギンが長男の高倉冠葉であり、2のシンプルなペンギンが次男の高倉晶馬、3のリボンのついたペンギンが妹の高倉陽毬。
しかし、上の方の画像には一番右に藍色のペンギンがいる。
これについてはまだ明かされていないが、陽毬の頭の上に乗っているペンギンと似ているような感じもします。

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では、この3匹のペンギンとはつまり何なのだろうか?

「少女革命ウテナ」では、チュチュという猿のマスコットが、姫宮アンシーの心のメタファーとして表現されていました。
(ここではあくまで、そういう解釈もある、という話です)
お人形のような姫宮アンシーの心は実はチュチュの行動、表情によって表現されていると思ってウテナを観ると非常に面白いわけですが、それと同じ表現がこのピングドラムの中でもされている可能性はあると思われます。

3匹のペンギンは「冷凍」されて彼らの家へ届けられ、「解凍」されて歩き出した。
ペンギン1が高倉冠葉の心のメタファーであり、2が晶馬、3が陽毬の心、と考えると、何らかの理由により(それは陽毬の死によって――?)それまで冷凍されていたものが解凍され、ペンギンという彼ら三人にしか見えないマスコットに具現化されたものと考えられます。
ペンギンのそれぞれの特徴も彼らにシンクロしているため、ただのマスコットとしてではなく、これからのペンギンの行動に注目するべきでしょう。
しかし、「何故サルでもなくウサギでもなくペンギンなのか」ということまでは私はまだ考えが到達していません。
水族館で家族で見たペンギンが思い出であることは、立てかけられた5人家族だった頃の写真から推察することは出来ますが、それは動物園のキリンでもゾウでもいいわけですからね。

▼リンゴ、銀河鉄道の夜

OPEDなどに頻繁に登場する「リンゴ」。

途中、通り掛かりの少年にこんなセリフがあった。

少年1「だからさ、リンゴは宇宙そのものなんだよ、掌に乗る宇宙。この世界があっちの世界をつなぐものだよ」
少年2「あっちの世界?」
少年1「カムパネルラや、他の乗客が向かってる世界だよ」
少年2「それとリンゴに何の関係があるんだ?」
少年1「つまり、リンゴは愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもあるんだよ」
少年2「でも、死んだら全部おしまいじゃん」
少年1「おしまいじゃないよ!寧ろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ」
少年2「全然わかんねぇよー」
少年1「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなぁ~」


これは、紛れも無く宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」についての会話である。
少し宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」についてまとめると…

・カムパネルラや、他の乗客が乗る「銀河鉄道」は死者を乗せる鉄道である
・特に、「愛による死を自ら選択したもの」を乗せている。
・鉄道の中は、リンゴ(原罪の象徴)と野イバラ(キリストの象徴)の香りに包まれている。
・リンゴは、カムパネルラやジョバンニなど乗客に配られる。
・白鳥座の北十字から始まり、南十字座で旅が終わる
・カトリック的人物・ものごとが多々登場する

など、詳しくは >>こちら なども読めば、「銀河鉄道の夜」がキリスト教的暗喩を用いて組み立てられた物語であることが伺い知れるでしょう。

まず、リンゴというモチーフについて。
少年はこう言う。

少年1「だからさ、リンゴは宇宙そのものなんだよ、掌に乗る宇宙。この世界とあっちの世界をつなぐものだよ」


リンゴは宇宙そのものである、という考えは、見田宗介の言う考えでもある。
>>このページ に詳しく記載されています。
ずばり、宮沢賢治の言うリンゴは「掌に乗る宇宙」であると見田宗介は指摘しているのです。

リンゴは、誰もが知るように原罪の象徴でもあります。
アダムとイヴが食べた知恵の実です。
それが、乗客に配られる。
少年はそれを、このように言います。

少年1「つまり、リンゴは愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもあるんだよ」


知恵の実を食べる前のアダムとイヴには、愛による死を選択することも出来ない者であったと思われます。
人間が人間らしく生きることは罪悪でもあり、同時に素晴らしいことでもあるという解釈をしたとすれば、リンゴを食べるということは、人間らしく生きることの「原罪」であると同時に人間らしく生きることの「ご褒美」でもある、という考え方です。

このピングドラムでは、妹の陽毬が死に、そして生き返ります。
そもそも本当に生き返ったのか?
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニと同じように、陽毬の死後の世界に冠葉と晶馬が迷い込んでしまったのか?
妹は「愛による死を自ら選択したもの」であるということなのか?

更に、「罰」という言葉が公式HPで見られるCMに多く登場します。
「君の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ。」というフレーズもついています。

メインの3人は、「これは罰だ」となんらかの出来事を以って思っているようです。
それが何かは現時点では分かりませんが、銀河鉄道の夜を通じて、キリスト教的メタファー、リンゴなどのアイテムで、このアニメのメッセージとは何か、考えを導くことは出来そうです。
ピングドラムをより理解する上で、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は必読と思われます。


では、作品のメッセージとは?

一言に集約するとこうかも知れません。
「運命を変えてみせる」

モノローグは晶馬の語りからこう始まります。

僕は、『運命』って言葉が嫌いだ。生まれ、出会い、別離、成功と失敗、人生の幸、不幸
それらが予め運命によって決められているのなら、僕達は何のために生まれてくるのだろう。
裕福な家庭に生まれる人、美しい母親から生まれる人、飢餓や戦争の真っ只中に生まれる人、
それらが全て運命だとすれば、神様ってやつはとんでもなく理不尽で残酷だ。
あの時から僕達には未来なんて無く、ただきっと、「何者にもなれない」ってことだけははっきりしてたんだから。


そして、冠葉の語りで第1話は終わります。

人は、何のために生まれるのか。あくせく毎日を過ごすためだけに人が創られたのだとしたら、
それは何かの罰なのか、それとも、皮肉なジョークなのか。
そんなんじゃ、遺伝子にプログラムされた生存戦略に忠実な動物の方がよっぽどシンプルで美しい。
もしこの世界に神様と呼べるものがいるのなら、そいつに一つだけ訊きたい。
人の世界に、運命は本当にあるのか
もし、人が運命を無視して、本能も、遺伝子の命令も無視して誰かを愛したとしたら、
神様、そいつは本当に人なのか?

……なんてね。

俺は、運命って言葉が嫌いだ。


またここで、前作の『少女革命ウテナ』との比較というか、共通項についての話になってしまいますが、
少女革命ウテナは、先ほど上にも書いたように、まさしく『自らを革命する』物語でした。
ウテナでは、「運命」という変わりに、「革命」という言葉が使われています。

「卵の殻を破らねば、雛鳥は産まれずに死んでゆく。我らは雛だ、世界は殻だ。世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために!」


これは、ウテナに於いて生徒会が毎回エレベーターを昇りながら言っていたキメ台詞ですが、
ウテナやその他生徒会メンバーは自らを革命するため闘いました。
最後には姫宮アンシーも自らの革命に成功します。自らの殻を破り、世界を革命することに成功するのです。

この『輪るピングドラム』からも、似通ったメッセージを感じ取れるような気配が漂っています。
ただし、ウテナは自らの殻を破り、自らを革命することがテーマだったことに対し、
このピングドラムでは、『運命』に対峙し、それに逆らい「運命を変えてみせる」といったことがテーマのようです。
自らを革命することと、運命を変えることは似ていますが、
自らの革命は個人的であることに対し、運命を変えることは社会的な感じがします。

陽毬が変身したことは、その「運命を変える」上で、大きな意味がありそうです。

「何者にもなれない」運命である我々が、「運命を変えてみせる」という決意を持つべきである、といったメッセージが込められているのかもしれません。



まず、第1話での考察は以上ですが、謎の部分が残りすぎて、全く的を外した考察となってしまっているかも知れません。ごく個人的な感想なので、悪しからず…。

ちなみに、EDに3人の女の子が登場しますが、一人は陽毬にしても、残りの二人が冠葉と晶馬としか思えないですね。一体どうなるのか、まったくの謎です。

ただ単純に観ても面白いアニメとなりそうです。
2話にも、考察点があったとしたら、また記事を書くかも知れません。
とりあえず今回は以上まで。



追記

この記事を上げた途端、「輪るピングドラム」で検索して辿り着く方が多数のようで、私的な解釈を書いていることに恥を感じ、私も色々と検索し様々な解釈やネーミング由来などを軽く調べてみました。
登場人物の名前が、銀河鉄道の夜から捩られて
冠葉=カンパネルラ
晶馬=ジョバンニ
だとか、そういったことには気付きませんでした。
しかも、あのショートカットの子が苹果(りんご)ちゃんだということも、ネット見てて気付いた次第です。
(ちゃんと公式HPを見なければだめですね…)

ペンギンは同性愛の象徴であるとかも言われていますね。

ネット上での反応を拾いつつ、まとめてみたい気もします。
小説や本はネタバレになるかなぁと思って後から読む予定だったのですが、
ちょっと読んでみようかなという気になりました。
この記事を見てしまった人、すみません。



更に追記

試運転マニュアルより

幾原:「うん。スタッフにペンギンの話をしたとき、誰かが駅の改札で使うICカードのことを話したんです。その瞬間、頭の中でパパパッっとなにかがつながる感覚があったんですよ。そうか、自分がテレビアニメをやる理由はそれかもしれない!って。詳しくはネタバレになるので言えませんが、すぐに消費されてしまうような面白さとは別の、特別な視点を見つけた気がしたんです。久しぶりの実戦ということで考えると、ウォーミングアップなしでいきなり剛速球を投げられそうな予感がした。」


スタッフにペンギンの話をしたところ、電車のICカード(おそらくペンギンのSuica)の話になり、幾原監督が閃いた…という>>記事

ICカードによって、何かがつながる感覚?

ペンギン=切符?
『銀河鉄道の夜』に於いて切符は重要だ。

冠葉=カンパネルラ
晶馬=ジョバンニ
だとしたら、死者は陽毬だけじゃなくて冠葉もそういうことにならないのか?
『銀河鉄道の夜』では、生きているのはジョバンニだけで、あとの乗客は神様に召されていく。
気付いたら横に乗っていた友達のカムパネルラは死人。
生きているジョバンニだけが、「どこへでもいける」特別な切符をもっている。

そう考えると、1話で回想が晶馬ばかりだったのも気になる。
冠葉がもし物語の中でもカムパネルラ的存在なのだとしたら、死人だという可能性もある。
ただこれは考えすぎで、単純に名前を借りただけに過ぎないかも知れない。

うーーん……

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