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寺山修司と生きて寺山修司と生きて
(2007/05/09)
田中 未知

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感想:★★★★★

この本は、はじめにこの一文から始まる。

未知、きみは固有名詞じゃない。ぼくとの共通名詞である。一緒につくったひとつの存在です。――寺山修司


寺山が47で亡くなるまでの16年間、寺山だけを想い、妻だった九條今日子よりも側で、秘書として、秘書以上に、身を削って支え続けた田中未知。
寺山の仕事の管理、衣食住の管理、病気の世話、一生懸命献身的に支えてきたそうだ。

この本には、田中未知が寺山を想う痛いほどの気持ちが溢れかえっている。本当に痛々しいぐらいだ。
その痛々しいまでの寺山への愛と思慕と尊敬と、
寺山を取り囲む人々に翻弄された悔しさが、壮絶なまでに語られている。

はじまりは寺山との出会い、秘書になってからの生活、天井桟敷、寺山のクレイジーな母・はつとの闘い、病気との闘い、死を見届けるまで、またその後について記されている。
そして、あらゆる人物が登場する。

この本を苦々しく思う人が、寺山の元関係者の者達の中には必ずや居るだろう。
そこに書いてあることが事実だとしてもだ。或いは事実だからこそ。
だからこそ田中未知は、この本を出版するまでの24年間、沈黙を守り続けて来たのではないか。

その間の田中未知は、どんな気持ちだったのだろうか?
あらゆる寺山関連の書物が出版される中、20歳からの女の16年間を捧げた田中未知の故人への想いと、事実ではない書物を目にしながらも沈黙を守り続けたその気持ちは、どんな苦しみだったのだろうか?

この本の温度感は生々しい。
寺山が死んで24年後に出版されたと言うのに、田中未知の、周りの人間への怒りや悔しさが現在進行形のように溢れ出している。
しかし読めば、その怒りを読み手側も共有することになるだろう。
特に後半で語られる、医師の誤診についての章は、本当に胸糞が悪くなるとしか言えない。
この本は寺山が息を引き取るシーンで終わりとなるが、私は涙を流さずには居られなかった。

この本で一番強烈なインパクトを与えられるのは、寺山の母はつについての記述と、誤診をしたことを飄々と語る医師についての章だろう。

まず寺山の母、はつのその横暴ぶりは、信じがたいまでにクレイジーである。

「おふくろがぼくを木に縛りつけてものさしでぶつんだよ。それが友だちがいるときにかぎって、みんなの目の前でわざとやるんだよ」と、寺山が言ったのである。
友だちの見ている前で実の母に縛られ、ぶたれる少年の気持が、読者には分かるだろうか?(p.175)


《母は、私が学校の帰りに映画館へ立ち寄ったり、ズボンを破いて帰るたびに私をはげしく撲った。裁縫用のものさしがいつも母のかたわらにあって、それが「ムチ」だったのである。母の私を撲つ口実は「不良になったら、戦地の父さんに申し訳がない」というのだが、実際は撲つたのしみを欲望の代償にしていたのである。》
これは、子供の側の話と見た側の話が一致しているのだから、真実だったのだと思う。事実、私の知っている寺山はつから想像するなら、大いにありうる話だ。彼女の口癖は「修ちゃんが不良になってはいけない」であり、それが何かにつけ、自分の行為の弁解になっていた。
寺山はつが私に言ったことがある。
「私が修ちゃんを置いて九州に行ったのは、修ちゃんの書いたラブレターを見つけたからだ」というのだ。「このまま放っておいたら不良になってしまう、そう思って私は修ちゃんをひとりにした」のだと。
私ははつの性格を知っていたから黙って聞いていたが、まともに聞ける話ではない。ラブレターを書いただけで子供が不良になると、どこの親が決めつけるだろう?だいたい、ひとりにしたほうが不良になるではないか?そのほうがよほど問題だ。
敗戦直後のことである。母子家庭は何万も存在していたに違いない。もちろん子連れの女に簡単に仕事が見つかるとは思えないが、それにしても、生活費を稼ぐために中学二年の息子をひとり置き去りに遠い九州まで働きに出るなど、私には理解しがたい。
ある日、あるとき、前後の文脈は覚えていないが、いまも棘のように残る言葉がある。
寺山の吐いた一言。
「あの人はこのぼくを鋏で殺そうとした人ですからね」
無言で私の目をじーっと見つめたままだった。(p.177)


寺山は自身の作品で母に復讐をする。母を殺そうとする。母を捨てようとする。
しかし捨てられない。

「たかが映画の中でさえ、たった一人の母親も殺せない私自身とは、一体誰なのだ」
(映画「田園に死す」より)


母への復讐はあくまで映画や作品の中だけで行われ、実際には母には何も言えず同じアパートに住む寺山だったが、作品での復讐を恨みに想った母はつから、寺山へ送られた手紙も壮絶だ。
以下は205ページ~212ページまでに記載されている、手紙のうち一部の抜粋に過ぎない。
(行間=中略)

修ちゃん
私は貴方を捨てたおぼえはありません

私はなぜ貴方にふくしゅうされなければならないのですか?
かんしゃされるべきの母がなぜふくしゅうされなければならないのですか?

修ちゃんは今まで私を三度死にたひ気持ちにおひこみました。
一度目は病気の時 二度目は結婚する時 今が三度目、
苦しい思ひをがまんし人の何倍もつらい思ひをこらへてやっと育て上げた子供になぜふくしゅうされなければならないのか?


寺山が結婚した時に死にたい気持ちになったと豪語する寺山はつ。彼女は寺山の結婚式にも参加しなかった。
この母親について、

浮かび上がってくるのは、寺山の身近な女たちと対等に愛情を競い合おうとする「ひとりの女」の存在である。(p.222)


と田中未知も書いている。

この手紙はまだ続く。

修ちゃんは只の一度も良い母のイメージの材料にした事はない
只ひたすらわるくだらしない母としてしか書かない なぜですか なぜ私は一生懸命苦労してつらい思ひもすべて子供のためにがまんし子供のために一生をささげつくした母がなぜそんなにわるいのですか 貴方は私から生まれた事をうらんでいるのですか そんなら死になさいよ、私がころしてやりませう

私はたへられないぶじょくです、こんな人になるのならなぜ私は一生懸命つくしたのでせう 病気の時死んでくれればよかった

貴方は立派にふくしゅうに成功しました。私は十分に苦しみました。
今度は貴方達に私がふくしゅうするのです、
そのためには死ぬ事しかないと知りました


他にもこの手紙の中に、「何も母親をいじめなくても仕事は出来るでせう」という記述もあるのだが、
寺山はそうせねば、仕事は出来たとしても生きることは出来なかったのではないだろうかと私は考える。
自分のなかの抑えきれない気持ち、母への愛憎を文学や映画に昇華するしか、寺山が自身を救済する手立てがなかったのではないだろうか。
幼少期の必要以上の折檻や寂しさは、必ず成長過程でその人間を苦しめ、大人になっても引きずり続ける。人は歪む。
それが寺山修司だったのだと思う。母親を「あなた」としか呼ぶことの出来なくなった男。

寺山が急逝したとき、寺山はつは、「いや、修ちゃんは死んでいない。外国に行っているだけだと思っている」と言って、お通夜にも葬式にも顔を出さないでいた。(p.241)


寺山を知る上で、寺山はつとの母子関係を知ることは必要不可欠だ。

母と寺山の関係も壮絶だが、
田中未知の寺山への想いも、この本には深く深く漂っていて、まだ沈みきっていないような印象を受ける。

普通の夫婦でも長年いっしょにいると、「たまにはひとりになりたい」と口にするという。だが、私はいつだって、寺山といっしょにいればいるほど、もっといっしょにいたい、と感じていたのだから。
寺山がこの世を去ってから、私にはわけの分からない時間が待っていた。私は自分が、およそ世間知らずの、世の中を渡るのにまったく無防備な人間だったことを思い知らされることになった。(p.241)


私は、もちろん、寺山と長く人生を過ごせるなどとは考えていなかった。ただ最後の三年間ぐらいは二人で暮らすことができたらいいという、そんな夢を持っていたと思う。(p.264)


入院してから寺山の担当医になった林先生が、私に点滴をしてくれた。そのとき、ベッドに横になって初めて「死」が頭を過ぎったのだ。
「寺山の死」のことではない。おかしな話だが、寺山は私にいつも「自分が死ぬときはいっしょに連れて行く」と口にしていた。(中略)
ベッドに横になりながら、「やっぱり寺山は私を連れて行く気なんだ」そんな考えがふと頭を過ぎったのだ。(p。365)


そうしてあっさり逝ってしまう寺山修司。
その過程が、この本で読むには苦しすぎた。

文学者としての高尚な死を強要しようとする医師の誤診によって、あっさり息を引き取る寺山修司…
この医師が、本当に信じられないぐらい腹が立つ、胸糞の悪い医師である…。
寺山の死について知りたくば、この本を実際に読まざるを得ないだろう。

田中未知という、最も側に居、最も寺山を愛した人間から見る寺山修司像。
他にも色んな著者が、寺山にまつわる色んな本を出版しているが、
寺山を愛していた田中未知から見た、寺山の本質的な性格や考え方に対する分析は大変興味深かった。

この本には愛情と悔しみと悲しみとが溢れ出して、沈黙を守っていた分だけの想いが込められている。
読んでいて本当に気分が悪くなったり悲しくなったりするが、「寺山修司と生きて」と言う題に相応しいだけの田中未知の想いを窺い知ることが出来る。
その田中未知の気持ちに入り込みすぎると、読み手側までも寺山に魂を持っていかれそうな、そんな気持ちになる、本当に壮絶な本だ。

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