感想:★★★☆☆村上龍は、あとがきで
「私は、あなた達のサイドに立って、この小説を書きました」と言い切っている。
でも、これは間違っている。女子高生側のサイドに立つなんて不可能だ。
小説家と高校生という隔たりの前に、男と女であるという違いがあり、もっと突き詰めていけば、援助交際する女の子の理由や心理なんて人それぞれだからだ。
だから、
「あなた達」の
「達」という表現は、援助交際する女子高生にとっては全く無意味な言葉だ。
陣野俊史の書く解説に、ラブ&ポップを読んだ女子高生の感想が記されている。
「がんばってるけど、何かね・・・・・・」
「なんか違うって感じ」私も同じ感想だった。
しかし、伝言ダイヤルの男たちの話していることは現実的だと思うし、
取材に取材を重ねている努力は伝わる。
でも、女子高生はトパーズの指輪なんていらないんだ。
それが、きらきらした他の何かを表す暗喩表現だったとしても、まずすぎる。
女子高生は、指輪なんて欲しがらないから、指輪を手に入れるために、
無理してでも一日に二人の男と会おうとする裕美に違和感を感じてしまう。
(しかも意味不明な男、現実なら絶対にあの伝言で会わないだろうと思われる男。)
しかし、勿論共感できる部分もあった。
大切だと感じたものはすぐに手に入れるか経験するかしないと、一晩か二晩で平凡なものに変質してしまう。みんなそのことをよく知っている。
やりたいことや欲しいものは、そう思ったその時に始めたり手に入れようと努力しないと必ずいつの間にか自分から消えてなくなる。
この気持ちはとても、分かる。
でも、女子高生が、性を売り物にする時、そこにはもっと暗い何かが潜んでいるはずだと、やはり私は考えるのだ。何かが欲しいからというのは、確かに理由かも知れない。でも、自分自身を傷付けてまで何かが欲しいというのは病的以外の何者でもない。それが正常であるはずがない。
では何故彼女達はそうまでしてそれを手に入れるのか?
彼女達にとって、自分の価値というのは驚くほど高くて驚くほど低い。
そういった、暗い部分は、この小説では描かれて居ない。
ただ単純に、欲しいものを手に入れるために身体を売ろうとして、失敗する。
父親に、ピラフ、と答える時、実際に針を刺されたみたいに、胸が傷んだ。父親は、ふーん、ピラフか、と呟き、その後、ヒロミもナマ足だね、と言った。ふーん、ピラフか、という言い方がむかついて、裕美は、切れそうになった。爆発して、何かひどいことを大声で言いそうになるのを、我慢した。この、目の前にいる知人は何も悪くない、と自分に言い聞かせた。知らないだけだ。自分が何も知らないということに気付いていないだけだ。
私が裕美なら、切れそうになるポイントは
「ふーん、ピラフか、」じゃなくて、どちらかと言えば
「ヒロミもナマ足だね」の方だ。
そして、私ならひどいことを言いたくなるようなことはこれっぽっちもないだろう。
切れそうになる心理というのは、つまり「私はあんなに怖い目に遭ったのよ」という恐ろしさへの怒りの気持ちが内包されている筈だが、もし私が裕美なら、自業自得と分かりきっている出来事による怒りなんかはなくて、ただただ無事に帰ってこれたことに対する安堵と、父親への後ろめたさから、寛容な心で接するはずだと思う。
何かあったことを悟られないように、心を平静に保つ努力をするはずなのだ。
だから私なら、
「ふーん、ピラフか、」で切れそうになったりはしない。
心の底で、
「自分が何も知らないということに気付いていないだけ」の親を静かに軽蔑する。
だから私は、こっち↓の気持ちの方が理解しやすい。
おやすみ、と父親は、言った。いつもの声だと思った。十六年間聞き続けてきた父親の声で、その声がとても弱々しく聞こえて、裕美は、わたしは悪いことをしてるんだな、と思った。
父親に対して、悪いことをしてるんだな、と後ろめたく思いつつ、でも辞めないのが援助交際する女子高生の真実だと思う。
本書を読みながら、なんだかズレてるなぁ、違うなぁって思いながら読んではいたけれど、
これは虚構なのだ、と思えばこれも有りだ。
寧ろ、やっぱり作家だなぁ、と感心する。良くも悪くも。
解説で陣野氏が、
村上龍は女子高生たちにとってギリギリのところで「作家」なのだった。
と語っているが、まさにその通りだと思った。
だから、世の援助交際する女子高生は、その内容の呆気無さと裕美の幸福ぶりにがっかり落胆して、
それ以外の一部の人間は、なるほど援助交際をする女子高生の心理とはこんなにも呆気無いものなのかと理解したつもりになり満足する。(あくまで一部の人間は。)
本書に満足する一部の人間以外は、「本当にこんなものだろうか」と疑問を持つことを願いたい。
欲しいものを手に入れるためにこんなに簡単に援助交際する女子高生ばかりではありません!
そして、それをやっている女子高生の心には、絶対的に「物欲」以外の魔物が棲んでいます。絶対そう思います。私は。
しかし、これが書かれたのは援助交際全盛期、1990年代。
私は小学生なので、私が時代背景を理解していないだけかも知れません・・・
援助交際する女の子は確かにお嬢様が多いのだけど、
優しい両親が健在で、自宅も裕福で、友達もいて、顔も可愛くて、それで幸福なら、裕美がトパーズの指輪を買う為に援助交際する理由が見つからないのだ。
同じ条件で、「それで幸福じゃなければ」援助交際する理由はあってもおかしくない。
で、裕美は援助交際しているわけだから、「それで幸福じゃなければ」の方に入る可能性はあるのだが、では何故、それだけの好条件の星の下に生まれて幸福じゃないのか?といったところまで本書は描かれていないから残念だ。
しかし、本書に書かれているような男たちが存在することは事実でもあるはずなので、この作品が書かれた意味はあると思う。
援助交際、あなたが書かずに誰が書く?!という感じもありますしね。村上龍。
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